2022年9月28日

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2022年9月28日 (ハイパー神商)

 

Penfonのブランドイメージ作戦として
「波形の品格」 ・・・(~)

「欠落関数」 ・・・(■)
という新概念を提示しておきました。
まずは、軽く、市場調査レベルの情報開示でしたが。
共に、物理領域の概念として扱ったため。
私が専門家ではなく、ド素人の思いつき程度に思った物理猿も多いカモ。
その脳が青いのよ。

 

論理というのは、数学だけの基礎ではあらしゃいません。
自然科学の基礎論でもあり、哲学の基礎論でもある。
ちなみに、哲学は言葉遊びですが。
その曖昧さを出来るだけ排除しようとするのが論理なんですよ。
人類が、古代ギリシャ以来、2500年以上かけて手にいれた。
至高兵器です。
計算論ではメインになる最重要課題になります。

 

というわけで、既存の物理猿では思いつかない新たな見地から。
物理学の発展に寄与しておきます。
これでノーベル物理学賞を超える戦略格。
それが、どういう意味で。
どういうレベルの新発見になるのか。
楽しみにしていてください。
まず、手始めとして、今回は伏線準備をしておきます。

 

量子論の最大の課題は
「観測問題」
で、波と粒子という二重性が関与します。
これに関連した実験が
「2重スリット通過後計測」
です。
電子や光を2重スリット付き遮蔽板に照射すると。
スリット通過後、後ろのスクリーンに波の干渉による縞模様が出来るというやつ。
これは、素人にとって量子論で一番興味のある現象ですね。 

 

電子や光子1個だけ発射していく場合でも。
何発も発射し続けていくと、やがては、似た縞模様になるので。
だから、電子は波としての性質も併せ持つという結論になり。
粒子+波で量子という新概念になったわけです。
ここで大事なのが、最近の技術進歩です。
今や、
「光子1個発射したら、スクリーン上でも1点で光る。」
ことが確認できるまでになりました。
この技術進歩で、重要な論点が生起するのですよ。 

 

「計測時点で、波束の収縮が発生する。」・・・(基本原理)
という量子論特有の性質があり。
以後、この基本原理について論じていくわけですが。
量子論には、まだまだ、未解決の課題は多いので。
基本原理が矛盾してくる、後だし現象が発見される可能性は残っています。
例えばですよ、
「1発だけでは計測できない量子があるはずだ。」
と予測できる猿はいるかな?  

 

だって、現状、1個発射できるのは、光子・電子・その他で。
全ての量子が1個発射できる技術水準には到達してないでしょう。
具体例がニュートリノ。
正確に言えば、
「1個発射できないケース」
vs
「1個発射できても、計測できないケース」
の可能性に分かれますが。
計測できない場合、計測装置の限界に由来するのか?
はたまた、原理上、無理なのか?
こういう課題を考えた物理猿は、今までいたのかな? 

 

いたなら、個々の量子に対し、
「計測可能 vs 装置の限界で無理 vs 原理上、計測不可能」・・・(Ⅲ)
で3択解答してみ。
物理猿は、こういう思考実験訓練ができてないと指摘してるのだよ。
いずれにせよ、ここで
「限界」
という概念が登場する点に注意してください。
目先の課題で(Ⅲ)が解決しても、別の場面で(Ⅲ)は必ず登場します。
特に、量子論や宇宙論では。
よって、丁寧に、正確に扱う必要のある概念なんですよ。

 

「原理上、未来永劫無理なのか?」
vs
「今は無理でも、理論や技術の進歩により、やがては可能になるか?」
の相違です。
数学(数式)的にではなく、論理的に見て
「限界とは何か?
何であるべきか?」
これについては、後に議論しますが。
当然、ZF矛盾が干渉します。
それはさておき。 

 

ここから、奇妙な観測問題が絡んできて。
プロまで参加した解釈問題が勃発します。
当然、量子論の根幹に関る課題です。
どういう話かというと。

 

上の実験を、観測装置使って途中観測してみると。
結果の干渉縞模様は出現せず。
2重スリットを粒子が通過した形と“想定”される。
2つの縦縞模様が計測されるようになって。
観測したことにより、
「波動質から粒子質に変わった。」
と“解釈”すると。
観測行為が計測結果に影響したことになるわけです。

 

現在では、様々なタイプのスリット通過実験が重ねられ。
観測をスリット通過時に実施せず。
スリット通過後に、少しテクニカルな観測をすると。
通過前観測の模様と“似た”結果が得られています。
これは、
「スリット通過後の観測行為が、量子の質変を発生させたことになる。」
とか
「因果関係の逆行が起きた」
なんて騒いでいますね。

 

ネットで証拠が残っているので、今更、隠しようがない。
幼稚な解釈なので、私の活躍場になる天命。
ここで大事なのが、
「少しテクニカルな観測」
という行為です。
実験装置設置して、因果関係の推測してるのですが。
雑音や誤差を排除するように設定したはず。
まずは、この
「雑音・誤差」・・・ 1⃣
の観点が大事です。

 

今後、徐々に、テクニカルな観測手法が増えていって。
それに連れて、雑音や誤差が増えてくる。
これを排除するように観測装置を設定していくわけですが。
その方向のみ考えていて大丈夫か?
やがては、雑音や誤差の方にも意味があり。
そちらの方が大事になるという逆転現象が起きるのでは?
こういう方向で物事を考える発想が大事。 

 

次は、より本質で。
「観測とは、どの程度の実験までを許容範囲にするのか?」・・・ 2⃣
という懐疑。
今後も、様々な観測実験が続けられるはずです。
それにより、量子の本質に迫りたいわけだ。
しかし、観測の名の元に、何でもありは許容されないはず。
だったら、自ずから、観測の境界問題が発生してきます。
従来は、これを阿吽の呼吸で処理しているわけですが。
科学なら、やはり、境界問題を避けては通れません。

 

更に大事なのが、因果関係というか。
「観測行為と計測結果模様の相互関係」・・・ 3⃣
です。
「計測の時点で波が粒子に波束収縮する。」
という基本原理が量子の素だと言いましたが。
二重スリット実験では、
「観測の時点で波が粒子に変わる」
ようにも解釈できます。
つまり、観測により、波が波束収縮したとも言えますね。

 

これの相互関係は?
どういう正当化をするのか?
猿の世界では喧々諤々の大論争中です。
観測により、計測結果が異なるわけですが。
観測と計測が同じになるわけではない。
だって、観測しようがしまいが計測結果は存在するわけで。
観測結果は、計測結果に影響しただけです。

 

では、二重スリット実験における
「計測 vs 観測」
は、どういう関係なのか?
そもそも、量子論の基本原理は、どういう意味なのか?
あれは、計測の方のルールではないのか?
観測時点で、すでに波束収縮しているのならば。
観測でも基本原理が発動しているのでは?

 

しかし、そう単純でもなさそう。
だって、プロが不思議に思って。
この100年間、百家争鳴中ですから。
つまり、この場合の観測の意味です。
少し、詳しく分析していく必要があります。
特に、今から先、テクニカル観測が増えていく状況では。
こういうのが美味しいのよ、神から見れば。 

 

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