2026年1月28日 (ハイパー神商)
私は月に一度くらい、用事で高知に帰省します。
1月14日に、高知から南風+新幹線で神奈川に戻る際。
隣りの南国市の寂れ具合を確かめるため。
各駅停車に乗って、ごめん駅で途中下車したのですが。
そろそろ、高知市は南国市を吸収合併した方が良いのでは?
そういうレベルの惨状。
注意:
今回は、飛行機に乗らず、駅弁食べるJRノンビリ旅。
それにつけても、JR四国には、未だ、新幹線が走らない。
来たら、大阪までの旅行は、飛行機よりもJRが優勢になるはず。
それが分かっているのに、実行できない。
予算が無いJR四国は惨めだな。
岡山駅から瀬戸大橋超えた宇多津駅までを新幹線軌道にし。
宇多津駅からは、既存の軌道を、そのまま有効利用できるミニ新幹線で十分ですよ。
これで、高知・岡山間は1.5時間くらい。
そこから新大阪まで1時間くらい。
やれば需要はあるのに。 ┤
その電車内で、どこかの3匹が何かを訴えようと近寄って来た。
フッ、序列も弁えずに。
どの業界の猿だったのか正体不明。
というわけで、今回は。
特別の御慈悲をもって、猿の願いを聞き届けてあげようか。
つまり、今回は、前回の行間説明になります。
具体的には、MTパラドックスのサービス分析。
以下、私が匂わした雰囲気の余韻を噛みしめることになるでしょう。
この導入部から、本論に。
宙爆開始。
前回、史上初でMTパラドックスを提示しました。
そこから4者4様に繋げたわけですが。
そこでの根本懐疑として
「非古典(第1階述語)論理の完全性定理」
に触れておきました。
ほのかに匂いを嗅がす程度でしたが。
その真意が理解できない猿が多かった模様。
物理猿や数猿は何を指摘されたのか見当付かなくても。
論理猿は、仲間内で、己らの脳タリンを暴露しあったのでは?
具体的には
「直感主義論理の完全性定理は証明済み」
とか言わなかったかな、従来の枠内思考で。
フッ、それが甘いと言ってるの。
MTパラドックスの深さが皆目見当つかない風情。
昔、私は青の時代に。
竹内外史の師範代やってた立場だぜ。
(今や、独自のオリジナリティでピカソ超えているけど・・・。
なお、生成系AIで人物像を100回コピーすると。
ピカソの抽象画に匹敵するみたいになるらしい。)
どういう了見だ。
そういうレベルの話をしているはずがないでしょうが。
論理猿の完全性指摘は4者4様の価値や意図が悟れてない証拠です。
ハイパー神商では物理の話をしているわけです。
で、物理には実験が必然的に付随する。
これが数猿や論理猿の理想のイデア世界とは根本的に違う点。
科学では、自然現象を把握すべく、実験を実施します。
この初期段階の実験は普遍枠外実験ですよ。
何か正体の分からない対象を、何とか理解しようと足掻くの。
こういう初期段階の実験を重ねて。
やがて、物式なんて道具を導入し。
対象に対し、枠内のモデル化を行います。
(物理猿は何も分からず、知らず。
無邪気に、枠外モデル構築したりしますが。
マ、それは、御愛嬌ということで・・・。)
で、その後の実験は、このモデルに沿って行う。
これが通常の科学の流れです。
ここの大事なポイントは。
枠外の曖昧さを、何とか把握しようと画策する場合。
曖昧さを枠内化する手法として。
型に嵌まった古典論理ベースのモデルよりも
「非古典論理ベースのモデルを構築するのが高級」
だと思い込んでいる点。
この
「古典 vs 非古典」
の優劣対比については、後に論じるとして。
少なくとも、何らかの論理ベースで枠内モデルを構築する才能が必要なわけです。
そうしないと、いつまで経っても、枠外の曖昧対象のまま残りますから。
まずは、この事実関係を出発点として押さえておいて。
仮に、普遍枠外性を、論理で普遍枠内化できたとして。
しかも、非古典論理ベースでモデル化に成功したとしても。
それは、曖昧性の枠内近似把握に過ぎません。
この事実を念頭に置いて。
この局面での関心事の一つは。
その結果のモデル化が、
「非古典論理枠として完全性定理が成立するかどうか?」
つまり、非古典論理として、演繹証明なるものがキチンと定義できて。
非古典モデルの真偽(充足可能性)と一致するかどうかです。
一致すれば完全性が成立するわけで。
この場合、理論としては一安心というところですが。
しかし、逆に、この場面で。
枠内外性という本質が干渉し始めるのですよ。
普遍枠外性に起因する曖昧性は、非古典論理枠に閉じ込めることで。
つまり、かなりの強い制約を課すことで。
非古典論理レベルの
「弱曖昧性」
に収めることに成功します。
しかし、この閉じ込め作業の過程で。
本来の自然現象に潜む
「ある種の曖昧性」
が排除されることになります。
何故ならば、あくまでも、枠外性の枠内近似モデル化しているに過ぎませんから。
ここの機微は、歴史的に振り返ってみた時。
直観主義論理で垣間見ることができます。
ブラウアーの提唱した本来の直観主義論理には、何処か最終的に。
普遍枠内でキチンと把握できかねる哲学の余韻が内包されていました。
それを払拭したのが、論理的アプローチとしての代数構造規定で。
ハイティング代数(束)としてキチンと把握すると。
最早、枠外の曖昧性は微塵も残ってない状況。
だからこそ、完全性定理が成立するのです。
つまり、元のブラウザーの提唱した直感主義理論のままでは。
完全性定理なんか、原理上、成立しないのですよ。
だって、内部に曖昧性が残っているのですから。
この論理業界の歴史が参考指標になります。
同じことが、量子論理でも成立するのです。
フォン・ノイマンが提唱した20世紀前半の時代には。
まだ観測問題がメインの曖昧さで。
現在のもつれに至る発展成果は織り込まれてなかった。
つまり、一言で量子論理と称しても。
後から後から出現する様々な性質を統一的に把握しようと。
今や、ほぼ分裂症の症状を呈しています。
大雑把に
「分配律の成立しない束」
とか言ってますが。
そんなもの、千差万別です。
これら全て、完全性を保持するように設定されている気分なのか?
そもそも、そんなことが可能なのか?
かなりの強い制約付けないと、無理っぽいことは分かるはず。
しかし、強すぎて、完全性定理に固執すると、本来の曖昧性が把握できない宿命。
かといって、完全性が成立しなければ、MTのパラドックスが顔を覗かせるという。
前門の虎、後門の狼状況。
これが、現状の量子論の正体です。
で、ここから、更に大事な事実が介入し始めます。
それが、大局としての古典論理の干渉です。
局所モデルとして、無事、枠内非古典論理ベースモデル化に成功したとしても。
大局の古典論理と、どう折り合いを付けるか?
これに対する解答なしで、科学は成立しないのですよ。
しかるに、従来、誰も論じてない。
それを露骨に暴露したのが私の4者4様だったのです。
次回、MTパラドックスを別の観点から再吟味します。
少しは、自分達の脳タリンが悟れたか、猿。
己の乏しい知識で神と勝負しようなんぞ、100万年早い!
今回も1京円稼いで、総額10京円のビジネス。
これで412町目。