2025年11月28日

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2025年11月28日 (ハイパー神商)

 

前回は普遍枠の何たるかを知らしめる内容でした。

古典物理は、いざ知らず。

量子論の場合、類推モデル採用しているという意味で枠外。

これを枠内近似した結果、理論となるのですが。

私は古典論理ベースの理論が普遍枠内と指摘しました。

これは科学理論としての大局的な観点からです。

 

局所的には、非古典論理ベースの理論も枠内です。

従来の枠内外とは、こういう近視眼的で局所的な意味。

しかし、それは大局的には通用しないと注意喚起したの。

その理由が実理問題における

「背理法」

の発動。

仮定の理論が実験で破壊され、理論改変に繋がるわけですが。

これを実施するには、古典論理ベースで議論することが前提。

 

従来の科学理論は古典論理ベースだったので。

背理法の利用に何の問題も無かったのですが。

量子論になって非古典論理が出現した。

すると、理論で出た結果に対し背理法が適用できない。

この点にどう対処していくか。

今から先の量子論の行く末に深く係わる最重要課題で。

量子のパラドックスと名付けました。

 

このパラドックスの本質は非古典論理の採用であり。

量子論に限定されるものではあらしゃいません。

古典論理から外れた推論をする科学全てに適用される課題です。

自然科学だけではありませんよ。

経済学や歴史学の改変にまで干渉する話で。

凡そ、・・科学と称している分野全体が視野に入ります。

 

このように汎用性のあるという意味では、寧ろ

「非古典のパラドックス」

と呼んだ方が相応しいのですが。

量子論でベルの不等式の破れと騒ぎ。

アインシュタインまで巻き込んだので。

歴史記念に量子のパラドックスと名付けたわけです。

この影響拡大の確認作業を経てから、今回の本論に。

宙爆開始。

 

量子のパラドックスは、非古典のパラドックスなので。

非古典論理ベースで推論する数学でも発生する話題ですが。

この点を理解できていた数猿はいなかったし。

論理分野で認識できていた猿もいなかった模様。

神の私だけが、史上初で暴露できる脳力があったのです。

何故、そう断言できるのか?

 

以下、量子論を素材にして、更なる分析を続行します。

量子のパラドックスを曖昧に放置にすると。

どういう間違った推論をすることになるか?

その代表見本役が

「ベルの不等式の破れ」

という主張に表出します。

 

ベルの不等式の破れで実行している推論は。

(何らかの隠れたパラメータを追加することで。)

「量子論が古典論理ベースの理論Tとして提示できる」・・・(古)

と仮定し、ベルの不等式を導出します。

しかし、実験結果はベルの不等式を破る。

「∴仮定の(古)が誤り。」

こういう三段論法になっています。

量子ビットなんてのが、その証拠。

 

実は、この推論に大問題が潜んでいます。

何処が、何故、問題なのか?

その理由が判らないはず。

だから猿なんです、君らは。

ベルの不等式の破れで、(古)の否定を結論付けたわけですね。

つまり、

「量子論は古典論理ベースの理論Tとして提示できない。」

という主張ですが。

その意味内容が二通りあることが理解できるかな?

 

「量子論は非古典論理ベースの理論。」・・・(非)

なのか、それとも、

「量子論には、そもそも、対応理論が無い。」・・・(無)

のか?

この局面で、(無)のケースは物理猿には思いも及ばないはず。

曖昧性を何とか枠内理論として把握しようと試み。

物式使って、推論実施しているのですが。

対応理論が無いとは、どういう意味だ?

 

そもそも、枠内とは論理ベース理論のことで。

古典でなければ非古典になるだろう。

こう考えるのが物理の浅さはかさ。

数学でも、論理でも、こう考える癖がついている風情。

それが甘いのよ、メタボになるくらい。

君らは、矛盾する理論というものを想定できないのかね。

 

つまり、(無)の主張とは

「量子論に対応する無矛盾理論は存在しない」

ということ。

この驚愕の結論は(古)の否定から出るのですよ。

何故か判るかな?

 

(古)とは

「量子論が古典論理ベースの理論Tとして提示できる」

だと提示しましたが。

正確には

「量子論が無矛盾な古典論理ベースの理論Tとして提示できる」・・・(無古)

です。

ここの推論を吟味すると。

 

Tを仮定して、ベルの不等式を出しているわけですが。

ベルの不等式に意味があるのならば。

Tが矛盾しては拙いでしょう。

だって、矛盾していれば、何でも言えるのだから。

だから暗黙で(古)ではなく(無古)を仮定するのです。

そして、¬(無古)から(無)の可能性が出現するのよ。

こういう理性が働かなければ人とは言えません。

 

「量子論とは大局の意味で矛盾するのでは?」

こういう発想ができないのが猿脳。

ここで、伏線の

「局所 vs 大局」・・・(局)

が干渉します。

局所的に整合性を保っても、理論全体で矛盾することは、いくらでも有ります。

 

この段階では、

「(非)vs(無)」・・・(非無)

の二つの可能性がありますが。

どちらになるのか?

この問題を今から分析して極めていくわけです。

言っておきますが、量子論は代表見本役に過ぎません。

科学の至るところで、この課題は登場します。

それどころか、数学でも論理でも出現する。

それを見逃す猿の愚かさよ。

 

というわけで、今回は科学における最重要課題の提起でした。

その重要性を鑑みて。

(非無)を考究することを

「反古典のパラドックス」

と名付けます。

創始者特権で著作権設定。

 

量子のパラドックスは科学史上最大のパラドックスで。

反古典のパラドックスは量子のパラドックスの一部を構成しています。

しかし、反古典単独で成立するパラドックスです。

そこで実施されるのは、どういう推論か?

ブラックボックスを可視化しておくと。

 

従来の常識では

¬(Tは古典)=Tは非古典

でした、しかし、私が論証したのは

¬(Tは古典)=Tは非古典∨Tは矛盾

この根拠が

¬(Tは古典⋀Tは無矛盾)=Tは非古典∨Tは矛盾

 

では

Tは古典=Tは古典⋀Tは無矛盾 ・・・(無矛盾)

なのか?

通常の局所的推論では、(無矛盾)は成立しています。

そうじゃないと、出した結論の意味がない。

(ここの文脈ではベルの不等式)

しかし、稀に、Tが矛盾しているケースもあります。

 

その場合、

Tは古典=Tは古典⋀Tは矛盾

となり、

¬(Tは古典)=Tは非古典∨Tは無矛盾

となるのか?

ここまで深読みすると、奇妙さに気付くはず。

一体、何が起きているのか?

 

一般に、矛盾概念を気にすれば

Tは古典=(Tは古典⋀Tは無矛盾)∨(Tは古典⋀Tは矛盾)

という広義の定義が成立します。

すると

¬(Tは古典)=(Tは非古典∨Tは矛盾)⋀(Tは非古典∨Tは無矛盾)=Tは非古典

になりますね。

しかるに、一方で、(無矛盾)という狭義の定義も有り得る。

 

では、この文脈では、どちらなのか?

狭義の(無矛盾)の定義の方でしょう。

分かってきたかな、文脈依存性が。

私は真理を暴露しているだけ。

こういうのをパラドックスと言い。

私の推論を理性的というのですよ。

猿の感性や悟性じゃ、こうはいかない。

 

これが単独での反古典のパラドックスの価値です。

この指摘だけでも1京円。

オマンの課題だぜ。

少しは自分で考えろ猿。

これで総額5京円の406町目。

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