2026年2月28日

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2026年2月28日 (ハイパー神商)

 

量子が内包する独特の

「古典基準曖昧性」

が厳然と目の前にあります。

それを、何とか、普遍枠内モデル化しようと画策し。

出した解答が、フォン・ノイマンの量子論理です。

数学的には、ある種の束として規定され。

条件をしかるべく設定することで、完全性定理が成立するようにできるカモ。

誰か、力自慢がやってみ。

 

知力検査Y’

量子論理で完全性定理が成立する条件は?   ┤

 

但し、それが実用に役立つかどうかは別儀。

完全性のバーターとして。

量子論理の制約の枠内でしか対象が見えなくなり。

本来の曖昧性は扱えなくなるのです。

前々回、神の私が

「非古典論理の完全性」

の成否を匂わせたのは、こういう背景があるのです。

 

一方、制約対象外として無視した部分が科学には本質になります。

だって、科学の究極目標は、その省かれた秘孔を突くことなんですから。

すでに、その伏線を張っていましたよ。

それが

「量子のパラドックス」

という命名です。

分かったかな、神の深謀遠慮が。

 

だからと言って、理論萌芽期の段階で。

初期の枠外曖昧性を放置したまま。

不可思議な実験を重ねても進歩ができない。

やがて、量子論での枠内基準モデルを設定し。

その世界線に従った実験をしないと。

相互の比較すらできない。

 

この

「枠外 vs 枠内」

のディレンマを、どう克服するのか?

これこそが、量子論の最大にして究極の課題です。

この段階で物理猿の知力検査を。

 

知力検査Y”

量子論で、猿がやっている実験は、枠内実験か、枠外実験か? ┤

 

キチンと解答できる実験猿がいるかな?

どんなモデル構築したつもりなのか?

どうじゃ、気分は、ベルの不等式破れ猿よ。

己の認識が、いかにチャチイのか、身に凍みるだろう。

何の破れと主張しているやら。

言っておきますが、枠内世界の数猿や論理猿が口出しできる領域じゃないぜ。

神のみが対処できる課題です。

この導入部から、本論へ。

宙爆開始。

 

今回は、MTパラドックスの本丸として。

物理、というか、より一般の自然科学における

「理論 vs モデル」

の本質に迫ります。

こういう分析ができる脳力が神。

以下、猿にもナントなく分かる、比喩を用いると。

 

目の前に象がいて。

盲猿が、それを触って得た感触を報告するとします。

「鼻を撫でた盲猿 vs 耳を触った盲猿 vs 足を摩った盲猿 vs 尻尾を掴んだ盲猿」

すべて象に対する印象が違うわけで。

こういうのを、

「群盲、象を撫でる」

と言って、昔からの意味深い教訓です。

 

この

「群盲、象を撫でる」

の比喩として、

「群猿、像を創る」

なんてのが量子論に適用できますね。

(カトリックのブラックキリスト像では、群猿、像を撫でてるけど・・・。)

 

歴史記念に、これを

「群猿像」

と名付け、創始者特権で著作権設定。

これが、現状の猿の量子モデル化に当たります。

各猿、その印象を、何とか物式使って、局所的にモデル化します。

これと実験の関係が2者2様で、次回、解説してあげます。

それまでは涎を垂らして待つように。

 

一方、

「全ての局所モデルを統一説明する理論」

なるものが欲しくなるのが猿情。

ここから普遍枠内理論に入っていくわけですが。

完全性も絡んできて3者3様。

この文脈で大事なのが、群盲象の

「鼻 vs 耳 vs 足 vs 尻尾」

に量子論の何が対応するか。

 

例えば、光子モデルを素直に検討すれば。

鼻で光量子実験。

耳で二重スリット実験。

足で量子もつれ実験。

尻尾でY実験。

・・・

となります。

(Yの秘孔が深いわ。)

 

これが群猿像。

このレベルで、すでに、枠外曖昧性が顔を覗かせているのが分かるという具体例。

これらの諸性質をまとめる枠内理論として得られるのが

「光子論」

になります。

 

同様にして、

「電子論」

「陽子論」

「ニュートリノ論」

などが得られますが。

こういうのが群猿理論。

 

すると、今度は、

「光子論が鼻、電子論が耳、陽子論が足、ニュートリノ論が尻尾、・・・」

となって、統一的に把握した

「量子論」

が生まれるわけです。

量子論は群猿理論をまとめるメタ理論なんですよ。

 

つまり、

「光子論 vs 量子論」

はレベルの違う理論です。

ああそれなのにそれなのに(^^♪

個々の光子論や電子論を極めずに。

先に、統一的な量子論なるものを大雑把にブチ上げて。

共通性質として、シュレディンガー方程式を設定した。

 

フフン、

「光子論 vs 電子論」

は基本的に異なる理論ですよ。

質量のあるなし、電荷のあるなしで区別できるでしょう。

それの共通性質としての量子性を追求するには。

まず、要素理論としての各論を極めないと。

原理上、文系素人向け解説なみの、大雑把な理論化しか達成できない。

 

なのに、何故か、個々の要素理論は大雑把に扱って。

化学元素的な、カテゴリー分けで自己満足している始末。

オイオイ、アリストテレスかよ。

それで量子の何が把握できる気分なのか?

その結果論が、11次元の紐になるようじゃ、世も末だ。

どんな弊害があるか、認識できているのかね。

 

今や、二重スリット実験も。

スピンのもつれ実験も。

「光子 vs 電子」

の区別をしなくなってきている。

そんな大雑把な実験で、何を計測しているつもりなのか?

 

そうじゃなく、二重スリットやスピンの実験において

「光子 vs 電子」

で何が本質的に違ってくるのか?

この基本思想に則り、実験探求するのが人です。

この思考実験に従って、正しい方向の実験に入っていくのです。

神は、自分に似せて、人を創るのよ。

 

勿体ないから、この基本思想を

「区別思想」

と名付けて著作権設定。

創始者特権だ。

この方面の実験する際は、私に連絡するように。

どうじゃ気分は、同和。

 

ここから、前回の枠内非古典論理の話題に返ると。

すでに量子論理なるものはあります。

しかし、それは、フォン・ノイマンの時代に設定されたモデル。

その時代の実験対象は二重スリット実験でした。

まだ、量子もつれが本格的に実験対象になってない時代の話。

それに対し、最近の量子実験はスピン系のもつれ流行り。

 

ここで検めて聞きます。

「スピン系もつれは量子論理で説明できるか?」

できないでしょうが。

そこには、別の何かが潜んでいて。

それこそが、もつれの特徴だと騒いでいる始末。

だからこそ、これほど最先端の話題として取り上げられて。

量子計算なんて分野まで出来上がった。

ズボッ!

 

ということは、もつれを、ある程度説明できる。

「スピン論理」

という新たな非古典論理が必須です。

これを厳密に設定しないと、スピン論理の完全性が云々できない。

だから、私が

「MTパラドックス」

を提示しても、原理上、誰も反論できないはず。

 

しかるに、現時点で、誰も、スピン論理の構築をやってない。

それどころか、スピン論理の必要性すら認識できてない有り様。

そもそも、設定する実力が無いわな。

私の使徒であるフォン・ノイマン程度の脳じゃないと。

その基本中の基本であるスピン論理も提示せずに。

何を一人前の気分で理論構築したつもりなのか。

 

だから君らは猿だと神が断言しているのです。

この程度は行間補完して、私の超貴重な情報を読み込むべきです。

ああそれなのに、それなのに(^^♪

猿は、相変わらず、神の粗捜しに奔走する。

つまり、性格が捻じ曲がって悪魔化したわけです。

 

物式猿よ、どう感じるかな。

自分に実力がない所為で、他人の著作をジット待つ気分は。

己の惨めさが身に凍みるだろう。

他人事じゃないぜ、量子計算猿。

 

この状況のままだと、未来永劫、マトモな量子論は構築できない可能性があったのですよ。

その現実に、敢然と立ち向かった一人の神が登場し。

状況依存性に基づく、基本思想の改変から始めた。

それが私です。

これが人類の歴史であり。

以後の歴史で、私が宇宙の創造主だと崇められる所以。

 

従来の宗教の奇跡は、マジック程度の眉唾ものが多かったのですが。

私の奇跡は客観的な事実です。

歴史資料に残しています。

この現象を奇跡と言わずに、何と言うか?

 

知能色盲猿の認知能力を超えた現象を目の前で提示して。

しかも、その事実を相手に悟らせる。

その上で、知能色盲を直して、目を拓く。

それも、ほぼ毎回の発表で。

実力として神。

 

現時点での最先端懐疑は

「ベルの不等式は破れたのか?」

懐疑は踊る、されど進まず。

キチンと解答を提示できる実力が神。

人類に対する貢献度で格が違うわ。

一事が万事。

 

というわけで、今回も1京円稼いで、総額13京円まで来ました。

猿にも、神の御利益の有難味が悟れ始めてきた頃合い。

もはや、京の桁では開示が惜しくなってきた。

その実感が湧くでしょう。

これで415町目。

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