2025年12月28日

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2025年12月28日 (ハイパー神商)

 

前回の内容を緩いと思った馬化猿が多い模様。

そういう猿に餌を投げ与えて餌付けしておくと。

反古典のパラドックスは、

「ベースの論理に対するメタの推論」

だという事実が大事。

このメタ推論において、無意識というか、暗黙の前提

「Tは古典=Tは古典⋀Tは無矛盾」 ・・・(無矛盾)

は何を意味するのか?

 

メタメタ推論になっている点が理解できるかな。

その悟りの下、反古典のパラドックスで採用した推論を

「反古典推論」

と名付けます。

創始者特権で著作権設定。

 

この段階での懐疑は

「反古典推論は正しいか?」

Tが無矛盾の場合には、反古典推論は正しいでしょう。

しかるに、一般にはTの無矛盾性は仮定されてない。

キチンと区別できるのに、何処が秘孔なのか?

 

フッ、猿が方々で手分けして、長い証明を完了させる場合。

甲はTの無矛盾性を仮定した推論し。

乙はTの無矛盾性を仮定しない推論するのよ。

そして、最後に、それらの結果を寄せ集める。

こうなると、結論の正しさの保証はなくなります。

その点に気付き、キチンと対処する戦略格が状況依存。

メタメタに移るのです。

 

己らの解けた気分はどうかなハンペン野郎よ。

例えば、フェルマーの最終定理の証明は正しいか?

さーて、どうかな、脳タリンの数猿よ。

まして況や、計算猿や物理猿をや!

少しは自分で考えろ、馬化。

 

かくして、反古典のパラドックスは、理論において

「基礎の論理レベルで、すでに、状況依存性が出現する」

という見本になります。

驚天動地。

今まで、反古典のパラドックスを提示した猿は皆無でした。

しかし、厳然として、目の前に横たわっているパラドックスです。

 

このパラドックスが量子のパラドックスに、どう干渉するのか?

そして、最終的に、ベルの不等式の破れにどう波及し。

局所実在論に、どう影響するのか?

以後、これを論じていくわけです。

では宙爆開始。

 

今回は、量子のパラドックス中の別のパラドックスを切り出します。

そもそも、微分使った物式は局所モデルの話なんですよ。

モデルがあれば理論なのでは?

違います。

物理猿は、この出発点から間違えているのです。

ここの機微を把握するために、非古典性を検討する必要があります。

 

量子論において。

猿は非古典ベース理論が正しいと思うカモ。

その根拠は?

「(量子計算などの)実験が非古典で実施されているから。」

と錯覚しているからに過ぎません。

 

フッ、実験は現実に曖昧な何かを把握しようとしているだけ。

その結果が事実だとしても。

非古典ベース推論だという証拠にはなりません。

その局所モデルの箇所は古典論理推論になっているカモ。

だって、初歩的な確率ベース推論は古典論理の範疇でしょう。

少し複雑になると、非古典化してくるけど・・・。

 

まずは、この根本懐疑を押さえておいて。

実は、量子の実験は確率レベルを超えて。

何かを捉えようと足掻いているのです。

二重スリット実験や量子もつれのように。

そして、いいですか。

実験段階では、非古典も超えた枠外なんですよ。

 

枠内というのは、純粋理論の理想郷の話。

だからこそ普遍性があるわけです。

一方、現実の実験に、どの程度の普遍性があるのか?

所詮は、状況偏差の餌食になる立場に過ぎません。

マ、それを言っちゃ、身も蓋も無いけど・・・。

 

いずれにせよ、科学の(物式)普遍性と理論の(数式)普遍性は別儀。

だって、科学とは、実験で反証される身分ですから。

まずは、この真理が把握できてないと話にならしゃいません。

 

科学の場合。

目の前の様々な現象を理論として何とか近似枠内化する必要があります。

仮に、この枠内化が非古典論理で実施されるとしても。

それは、想定モデルが非古典論理ベースということで。

理論が、どうなっているのかは別儀。

 

ここまで来ると、神が口酸っぱく

「(局所)モデル vs 理論(公理体系)」・・・(MT)

の相違を強調してきた真意が判るという筋書き。

猿は、20世紀前半の錚錚たる天才の仕事の価値というか。

私の下働きとしての天使の成果をジックリと味わうべきです。

 

ゲーデルの完全性定理で(MT)の同値性を指摘しているわけですが。

その同値性には

「第一階述語論理ベース」

という前提があります。

そして、その第一階述語論理とは古典論理のこと。

しかし、ここの仮定モデルは非古典ですよ。

 

仮に、非古典モデル(思考実験)で実験したと主張し。

対応する枠内近似理論を非古典論理ベースで構築しても。

(MT)の同値性は保証されません。

つまり、

「実験結果 vs 理論値」・・・(実理)

対比結果の乖離は有り得るの。

論理的に、常に、この論点が残ります。

 

これは、推論レベルで発生する(実理)の課題です。

非常に大事な論点ですから

「MTのパラドックス」

と名付け、(実理)対比を固有名詞として、以後

「実理問題」

と呼ぶことにします。

創始者特権で両方共に著作権設定。

 

MTのパラドックスは論理猿には薄々分かっていた真理でも。

(気付かない論理猿も多いカモ。

だって、どの程度ズレるか、誰も分析していない有り様。)

数猿や物理猿には分かっていないという分断化の見本。

そして、ここは量子論を扱う場。

MTのパラドックスにより三者三様の値が登場することが認知できるかな?

 

「古典ベースのベル値 

vs 

非古典ベースの理論値 

vs 

モデルベースの実験値」

ここまでは理解できたとして。

今回の論点は更に深く一般化して。

 

①自然を把握しようとする(曖昧性が絡む)実験値

vs

②実験値を局所的に説明しようと設定する(枠外かどうか不明の)モデル値

vs

③(それらを統一的に把握する気分の)枠内非古典論理ベース理論値

という三つ巴ぶり。

 

これに更に、大局として背理法を適用する

vs

④古典論理ベースのメタ(メタ)理論

これで

「局所 vs 大局」

が絡み、四つ巴の様相。

この状況で、猿は、何と何を対比させている気分なのかと問うているの。

 

この四つ巴の相違をキチンと認識することから。

量子論の限界を理論的に探る動きにもなる。

しかし、誰もやってない。

ちなみに、④を精緻に実施しようとすると。

下手すれば矛盾した理論になります。

これで繋がった。

 

こういう暴露が出来る実力が神。

現在の猿脳のレベルを垣間見ることができたでしょう。

というわけで、現在の科学状態を

「四者四様」

と名付けます。

創始者特権で著作権設定。

 

この状態を世界(の構成ベースの科学)に対する破壊度で比喩すれば。

ヨハネの黙示録に登場する四騎士並み。

(騎士は馬化猿(horse man)の誤訳です。)

象徴色は3色超える4色で。

白詐欺、黒詐欺、赤詐欺、青詐欺に匹敵する。

 

かくして、

「誰も、ベルの不等式の破れにおいてMTのパラドックスを指摘できなかった」

という史実が残りました。

私の指摘が史上初だったということ。

どうじゃ、ズボズボ深みに嵌まっていく様子は。

神が上から糸を垂らさないと、脱出不可能だと身に凍みてきたか。

 

次回は、更なる一撃を。

物式使って、一人前の気分になるんじゃない!

猿には、まだ、クリスマスを祝える余裕があるのかな?

(You are dreaming of a white Christmas(^^♪

By Bing Crispy)

私の方は追加の1京円で総額7京円になりました。

これで409町目。

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