2025年5月28日 (ハイパー神商)
今回は、類推に関する蘊蓄の続きです。
演繹推論の何たるかを知らしめるのが目的。
演繹は物理猿や計算猿が口出しできる話じゃないの。
数猿だけの特権です。
その特権が神により剥奪されたから歴史的大問題になりつつあるのです。
この意味を今回解説します。
キチンと〆ておきましょうか。
では、宙爆開始。
従来、
「集合論ZFは第一階述語論理レベルの理論」
だと錯覚してきたわけですが。
それが間違いだと証明したのが、神の私ですよ。
ZFは精々が半公理体系です。
論理式に’法使って、term設定したと錯覚している猿も多いようですが。
駄目です。
エルブラン宇宙が設定できません。
その理由?
これが分からないから、私のΔ理論の御利益が理解できないの。
ZFは、Δ宇宙から
「プロパークラスや超クラスなど」
を排除した理論ですよ。
こう指摘しても、まだ抵抗する馬化が多いカモ。
「排除する必要はない。
Δ宇宙内にあっても使わなければOK宇宙。」
こう考えるのよ。
ここまで来るとキチガイです。
ZFの公理を見てください。
全称記号∀が作用した変数xがあるでしょう。
このxの(有効)範囲は?
集合部分だけに限定されるのですよ。
この大前提の下、私は、
「Δ内で、集合とプロパークラスの境界が曖昧」
だと言ってるの。
これが有名な境界問題です。
何故、曖昧か分かるかな?
詳しい議論はハイパー論理で展開しています。
未だに業界で周知徹底できないのは無視ケラ猿が悪魔に堕落した証拠。
この模様で、Δ理論の価値は1000兆円。
これで総額5000兆円まできたな。
問答無用。
注意:
歴史上、私より金持ちがいては駄目なの。
秩序が保てない。
私の仕事は
「人類の存亡が懸かっている。」
これを冗談と思うかどうかです。
歴史上、定期的に発生する大恐慌や(世界)大戦なんぞ。
ZF矛盾に比べれば、屁みたいなもの。
ZF矛盾は西洋文明の崩壊ですよ。
これが冗談じゃなければ、1000兆円単位の金額は適正になります。
猿の株価よりもマトモです。
やってみようぜ、今後、1000年の歴史懸けて。
私の死後、猿は必死で私の著作を研究するはずですが。
生きてる間に追加で情報貰っておけば善かったと後悔するはず。
この意味で猿の無視は原罪だぜ。
いつまでも、繰り返し巻き返し、神に面倒掛けるな!
先に進む時間が減るだろうが。
好い加減で信じて、己の脳タリンを悟れ。
馬化基準で物事を判断しおって。
私の証明文学を見たら、見た段階での内容は判るでしょうけど。
それはNP問題のP証明見た後の納得。
それで、結果論の知識は増えるのですが。
己の頭が進化したと思うなよ。
見る前に自分でNPレベルの解答を考えて初めて一人前。
これが理性と悟性の差です。
今後、馬化を揶揄う際に
「P脳」
と呼ぼう。
比喩ですけど使えるな。
身につまされるだろうが、計算猿。 ┤
完全性定理や不完全性定理は枠内理論でのみ通用する性質です。
そして、枠内想定のZFは矛盾。
こちらも私が証明しました。
単に宇宙境界が曖昧なだけじゃないのよ。
ZF矛盾が重要で、以後、あらゆる局面で干渉し始めます。
どう干渉するのかは徐々にハッキリしてくるというシナリオ。
ここから、私のYJ理論の重要性が浮かび上がります。
史上、最高の重要度ですよ。
それを無視して、金融に現を抜かす猿という構図。
当然、物理もYJ理論から逃れることは不可能。
だって、演繹を全くしないわけじゃないでしょう。
その証拠に、数式使っているもの。
この文脈で、
「演繹 vs 類推」
の境界問題が生起するの。
「原子核は陽子と中性子で構成される。」
をキチンと公理化してみ。
それとも、何かから演繹するのかな?
しかし、formulaも設定してない(無能で出来ない)猿ごときが。
どう演繹するというのか。
一方、最近では計算可能な枠外理論も登場し始めました。
■とか、Δ理論とかです。
全て私のオリジナル。
これらが登場した結果、数学でも演繹を重視しない風潮が起き始めた様子。
統計的な処理で片付けるとか。
フッ、P脳馬化が。
自殺するのかよ、数猿。
私はYJで状況依存性が必須と指摘しました。
この目的は、かみまでも、矛盾回避です。
つまり、状況依存性を取り込むのは演繹推論を守るためです。
演繹捨てて、統計処理で済まそうなんぞ。
純粋数学の破壊行為ですよ。
枠外性の枠内近似手法の一つとして統計的に扱うアプローチがありますが。
枠内化した後、演繹推論のベースに乗せるのが目的なのです。
統計的アプローチにも演繹っぽいものはあります。
しかし、
「実用 vs 理論」
では統計の意味が違う。
これを混同しては駄目。
分かったか、物理猿や計算猿。
まして、況や、経済猿や金融猿オヤオヤ。
ZF矛盾の苦しさのあまり自殺するなよ、数猿も。
以上、
「枠内 vs 枠外」
の観点から理論限界について解説しておきました。
今まで、枠というと、
「普遍枠」
としてきましたが、
「普遍とは何か?
何であるべきか?」
哲学で解答していても埒が明かない。
よって神が最終解答を啓示しておくと。
「普遍枠とは証明場に乗ること」
ここで言う証明場とは、
「集合論ベースの演繹推論場」
これでキチンと枠の範囲が決まります。
よって、演繹にならない類推は枠外。
正しさの保証が出来ない推論だということ。
少し狭く感じるでしょうが。
これ以上に広げると、推論で正しさ保存できなくなるの。
普遍について哲学で物を言っても無価値。
哲学で普遍(境界)が決まるはずがない。
原理上無理です。
これが神の最後の審判。
今までの伏線が、全て生きてくるという筋書き。
言葉の感触で、普遍・普遍と唱えるのは止めておけ。
どうじゃ、気分は物理猿や計算猿。
自分達は普遍枠内だと錯覚してきただろうが。
その幻想を打ち砕く役割りが神。
この点について散々、指摘してきたのですが。
西洋文明の崩壊に繋がる話ですよ。
今回が最も重要な論点だと分かるはず。
こういうのが10000得の話題です。
これで388町目。