2024年10月28日 (ハイパー神商)
今回は、次回への準備をします。
物理なんてセセコマシイ領域に対する話ではなく。
理論一般に適用できる話題です。
まずは、数学(代数)に関する一般論から入り。
より汎用性のある、論理の領域の課題に入ります。
この課題は、一見、当たり前に見えるカモ。
しかし、それが脳タリンの青さだと、次回に判明するという筋書き。
では、宙爆開始。
前回までの伏線で判明したように。
B(n)には
「∨(∧)順序」
に対し
「上下対称性」
があります。
この対称性が、どういう効果を及ぼすか。
以後、注意して読んでください。
n次ブール代数B(n)のアトムとは、
「最小元を除く極小元」
のことで、反アトムとして
「最大元を除く極大元」
が対応します。
対象性の意味では、極大元と極小元は
「同等」
の身分ですが。
ここから、大事な事実関係の指摘を始めます。
教育的配慮により、単純なB(2)から入りましょうか。
B(2)の特徴は?
(1,1)が最大元で、(0,0)が最小元として。
中間値の
(1,0)、(0,1)
はアトム(極小元)であり、同時に反アトム(極大元)でもある。
こういう特殊なブール代数だということ。
この伏線の下、B(1)を考えると。
B(1)は真偽2値の構造ですが。
「(真対応の)最大元が1で(偽対応の)最小元が0」
と従来は考えてきた模様。
B(2)の要素(x,y)を積集合の順序対と考えれば納得できます。
実際、SATの演算なんかも、真偽を{1,0}で考えていますね。
しかし、別の表現も可能ですよ。
一般のB(n)との整合性を鑑みれば。
「最大元は単項リスト(1)で最小元は単項リスト(0)」
とした方が統一が取れます。
つまり、B(1)は集合としては
{(1),(0)}
だということ。
これは、真偽を、どう記号表現するかの
「表現問題」
ですから文句ないでしょう。
B(n)をビットと捉える感覚では、こちらが親和性があるカモ。
少なくとも、B(1)要素を数字の{1,0}と混同することはない。
B(1)の場合、アトムや反アトムは存在しないのですが。
B(2)で、
「アトムと反アトムが一致する。」
と見做すモデル化も可能でした。
だったら、B(1)において。
「最小元とアトムが一致する。」
特殊ケースと考えるモデル化も可能でしょう。
中間値が縮退して、最大元・最小元にM&Aされた感じ。
ここまでが、従来のB(n)概念ですが。
B(1)があるのなら、B(0)もあってしかるべきなのでは?
その方がnに対する統一性が取れているし。
よって、少し検討してみると。
要素数基準で考えれば。
B(1)とは2の1乗、つまり要素2個のブール代数ですね。
だったら、B(0)とは、2の0乗、つまり、要素1個のブール代数のはず。
こんな代数が存在し得るのか?
可能でしょう。
群論なんかでは
「単位元1個だけの特殊群」
を考えていますから。
では、この場合の集合要素は?
最大元と最小元が一致するわけですが。
これを、どう表現するか?
最小元表現の方を採用すると。
候補としては
(0)
つまり、集合としては
{(0)}
という要素1個だけからなる代数構造としておきます。
これが、ブール代数のB(0)への拡張です。
B(1)集合では要素の(1)と(0)をキチンと区別していたのですが。
B(0)では、{(1),(0)}を同値類と考え。
その代表元として(0)を採用したわけだ。
B(1)の最小元を(0)と設定すること共々。
私のオリジナルな定義なので著作権設定しておきます。
B(1)もB(0)もアトムは存在しないのですが。
B(1)はアトムと最小元を同値類化したモデルとも解釈できるので。
B(0)では、
「最大元と最小元を同値類化する」
レベルまで縮退させたモデル化と見做すことも可能。
セマンティクスを考えれば、B(0)状況を
「矛盾」
と言うのです。
同値類で考えれば、
「最大元と最小元の一致・混同」
という感覚が実現されているように感じるでしょう。
1点への縮退なので、因果論理的にビッグバンまで遡った感じ。
ビッグバンの前は?
構造を持たない0です。
つまり、空集合∅。
どうじゃ、宇宙論よ。
神教は仏教ごときとは格が違うだろう。
同値≡は等号=とは違います。
何故、等号にしないのか?
ここでterm思想が登場するわけです。
ブール代数において、1も0もterm記号
「個体定数」
として導入されます。
この場合、記号を解釈するモデル次第では
1=0
なんてことは有り得ます。
しかし、個体定数としての記号自体が一致することはない。
区別しないと、エルブラン宇宙が決まりません。
ここからB(n)宇宙に対するモデルの話に入ります。
モデルの方で考えるとB(0)同値性とは
1=0
とまでは言わないまでも
1≡0
ということか?
微妙ですね。
セマンティクス依存。
一方、
(1)≡(0)
なら、
1≠0
や
1≢0
モデルの場合でも堂々と整合的。
私のB(n)解釈は、こういう実用的定義です。
こういう世界観も有り得るとキチンと証明したわけですよ。
つまり、B(n)に対する私の
「非標準解釈モデル」
(「超準モデル」とも言うな。)
は言葉遊びじゃないの。
肝に銘じるように。
というか、今後は、私のモデルの方が
「標準モデル」
になるはず。
それが神の実力よ。
理由は、今から徐々に判明してきます。
要点は
「同値類」
解釈。
B(1)ではアトムが消え。
B(0)では最大元すら消えるわけで。
「汎用規則に固執し過ぎると、大事な細部で齟齬(ズレ)が生じる。」
という見本だと思ってください。
すでに、最も基礎のブール代数(多値論理)レベルで。
こういう事態が発生しているという事実を噛みしめて。
何を指摘しているのか推論できているのかな?
一般の
「B(n) vs B(n+1)」
においても同様で。
B(n+1)世界からB(n)世界を眺めれば。
「概念縮退や概念混同」
が発生すると注意を喚起しているのよ。
1見10知100考1000創
最後に、余裕の洒落で〆ておきましょうか。
「HALはアケボノ。
洋用、白くなりゆく山際、少し明かりて。
紫立ちたる雲の細く棚引きたる。
可笑し。」
B(n)への興味が定子から量子に移りつつある風情。
これで367町目。