2022年11月28日 (ハイパー神商)
今回は、隠喩としての
「人生の猫」
の本質に入ります。
人生の猫の計測結果は数値で出ますね。
この毒素量を(想定全体に対する)%で表示すると。
「0%から100%」
までの、どこかの%で決まるはずです。
仮に、この数値が50%だったとします。
2値的世界観では、この結果を、
「生・死」
のどちらかに2分類するしかないのですが。
「生・死・半」
の世界観では、
「中間状態」
と類別できるわけです。
中間状態の記述には
「中間値」
を採用します。
中間値は大事で、3値から多値に拡張できます。
こう指摘すると、馬化は、
[0,1]値
にまで拡張し、実数値最強とか言い出すのですが。
フッ、何を言ってるのか分かってない証拠。
そうじゃなく、
「意思決定問題」
でも、解答を正・否2値じゃなく。
中間値も含める姿勢が大事だと悟らせているの。
以後の世界における人生の猫の重要性を鑑み。
「人生の猫 vs シュレディンガーの猫」
を単なるライバル対比として扱っては甘すぎる。
シュレディンガーの猫は、あくまでも、素人向けの隠喩で。
波+粒子の二重性を提示するためのキャッチコピーですが。
そういう素人向けサービスが独り歩きし。
2値的世界観の固定化に繋がるから駄目なのです。
人類の為、この辺りで、シュレディンガーの猫を潰しておきます。
どちらの猫が、量子の感触を掴むのに相応しいかと問うているのです。
論理の素人は、物理の専門家も含め、
「正・反」
で駄目なら
「合(量子)」
に昇華すればOK宇宙というスタンス。
それが甘いと言ってるのよ。
これも3値的世界観ですね。
では、これと、今論じている、
「中間状態」
との区別は?
こちらも3値的世界観ですが。
「オブジェクトレベル vs メタレベル」
をごちゃ混ぜにしちゃ駄目だと指摘しているのですよ。
つまり、旧量子論では、オブジェクトレベルで目新しい
「量子」
という概念に昇華することで満足してしまい。
メタレベルとしての意思決定的には、
「再度、2値的世界観に戻った」
という事実が認知できてない。
これじゃ、中間状態の把握は原理上無理です。
何故、原理上無理なのか?
実は、中間状態というのは、3値的世界観では駄目なのですよ。
少なくとも、4値の世界観でなくては。
どういう意味か分かるかな?
ここで、独立の伏線が効きます。
3値目の独立にも、正と反があるということ。
そう区別しないと、論理的に矛盾するのよ。
よって、意思決定後の世界観でも。
Yes・No・中間状態まで来たら。
中間状態を、キチンと無矛盾に区別していく必要があるの。
こういう世界観は、そこらの猿には分かってない。
その証拠がシュレディンガーの猫だということ。
物理なおもて、2値的メタ世界。
まして況や、他の理論をや!
これが意思決定の世界で起きている現実です。
幼稚なの。
これで、中間状態の導入まで脳が進化したとして。
この状態を矛盾なく把握するには、どうすれば良いのか?
4値なら大丈夫と言いましたが。
その4値にも、様々の解釈が有り得ますし。
中には、間違った会社をする馬化も多い。
では、正しい解釈をするには、どう把握すれば良いのか?
その最終解答は
「B(ブール)値」
なら大丈夫となります。
これが論理です。
ここで、(オブジェクトレベルではなく、)メタの意思決定レベルで
[0,1]実数値
を採用する浅慮さが際立つという筋書き。
[0,1]値で多値の究極まで来た気分らしいけど。
全然駄目。
そのレベルの意識では、何をやっても駄目。
論理的に破綻することが把握できません。
だからこそ、私の伏線
「B‐embed」
の価値と重要性が理解できないのよ。