2025年8月28日

更新日:

2028年8月28日 (ハイパー神商)

 

最初に、

「枠内 vs 枠外」

の観点から、

「数式 vs 物式」

の相違問題を述べておくと。

枠内とは、数学理論における演繹証明場に乗る範囲のこと。

枠外とは、それ以外ですが。

 

物理なんかは、哲学と違い物式使うので、枠外でも枠内寄りです。

努力賞ということで、こういうのに

「準枠内」

という用語を採用しましょうか。

創始者特権で著作権設定。

 

この場合、演繹推論の枠を

「狭義の枠内」

として区別します。

この観点も創始者特権で著作権設定。

この文脈で更に指摘しておくと。

 

計算論なんかで、証明場の枠外に出るケースがあります。

こういう場合に採用される式を

「計式」

と呼んで、物式と区別します。

こちらも創始者特権で著作権設定。

 

今まで、

「数式 vs 物式 vs 計式」

をキチンと区別した理論猿はいなかった模様。

しかし、以後は分けて議論するのが流行し始めるはず。

だって、事実として区別できる概念ですから。

それが証拠に、学問分野として違うでしょう。

 

理論を細かく分ければ、

「数学領域」・「計算領域」・「物理領域」・「経済領域」

なんてなるということ。

式が共通の形式用語として使われますが。

メタや推論レベルで違いが出てくるのです。

 

以上の話を科学哲学と思って、自分達には関係ないと感じる量子猿よ。

お前は、もう死んでいる。

物理の仕事に、何処で、どう干渉し始めるのか。

徐々に分かってくるというシナリオ。

乞う御期待。

この導入部から、今回の本論に。

 

類推の具体例を計式分野で挙げておくと。

計算論(TM論)における

「2テープTMは(基準)TMに翻訳可能」

なんてのが類推の見本です。

{1,0}基準TMの場合、これが証明できないことを私がメタ証明しました。

 

こう指摘しても、

「些細な違いだ。」

なんて思う、その脳がタリンのよ。

神は細部に宿るのです。

実際、数式の範囲で言えば、細部から始まり

「P vs NP」

問題の消滅解にまで繋がります。

 

量子論の物式で指摘すれば、

「原子核には陽子と中性子以外の素粒子であるY子はあるか?」

これのYes・Noでモデルは分かれるはずです。

昔は中間子なんて発見したわけですが。

今は、クォークレベルの話ではなく。

標準モデルを超える

「新量子」

発見の課題です。

 

旧量子論では、このYes・Noを説明できないでしょう。

その程度の大雑把な理論化なのです。

つまり、少し前まではNo類推からYes類推に代わっていたのが。

最近はYesの内部分析へと類推し始めたの。

 

こう言うと、逆らう馬化がいるカモ。

「そうじゃない。

今までは旧理論。

これからは、実験結果に基づき。

新規改訂した新理論に代わる。」

とかね。

 

フッ、

「Y子は、あくまでも、人工的に生成される粒子。

自然界には存在しない。」

神に、こう言われたら、どう返答する気かな?

ここで

「人工 vs 自然」

の境界問題に繋がります。

何か、境界があるような、無いような。

その程度の曖昧モデル化だということ。

 

どう思うぜ、バイオよ。

遺伝子組み換え作物とか言って区別しているけど。

要は、体に悪い(可能性がある)かどうかでしょう。

それと境界問題は別儀。

「(人が)人工的に製造するもの vs 自然」

と分けている感覚らしいけど。

「猿が猿工的に製造するものは自然ではないのか?

ビーバーは簡易ダム造るし。」

こういう境界問題もあるのです。

 

次回から、物理の使う物式の何たるかが、より鮮明になってきます。

最終的には、物理の使う類推とは、どういうものか。

具体例でハッキリと示します。

メタが絡んでくる程度のことは、今までの蘊蓄で悟れたカモ。

メタでも、推論は推論ですよ。

判ってるのかな、オブジェクト馬化。

伊達や酔狂で集合論が干渉するんじゃないということ。

 

最後にビジネスを。

猿にも御利益が分かる具体例の最たるものがPenfon。

大阪万博が開催されても、依然としてスマホで生きている猿よ。

好い加減で悟ったら?

スマホじゃ仕事の使い物にならないという事実を。

(昔の対応製品は手帳でした。)

逆に、日常使用では中毒化し健康に悪い。

 

会場入口における、渋滞原因としての

「スマホ読み取り速度問題」

だけじゃありませんよ。

(どうなるかな、電車駅でのQRコード読み取り改札は。

まだ本格稼働してないので、使う猿数は少ない模様。)

万博で判ったこととして。

 

スマホで会場の案内図を見て。

SNSで皆、不満を言ってましたね。

親方日の丸を忖度しない正直な感想です。

そりゃ、そうでしょう。

スマホじゃ画面が小さくて。

文字が読めるサイズの地図の一部しか表示できないのだから。

全体の位置関係の感覚が把握できない。

これが、紙を卒業した気分の脳タリン猿の世界の現実です。

 

事は、地図だけでは済まないでしょう。

図面とか、画像とかも、以下、同文。

何故、現場作業者がタブレット使っていると思っているのかな。

小さいスマホの方が持ち運びに便利なので。

スマホで使い物になるなら、そちらを使うはずでしょう。

しかし、現実に、タブレットを採用します。

(中には、スマホ程度でも出来るチャチな仕事もありますが。)

 

そろそろ、タブレットくらいのサイズが使い勝手が良いと悟れよ。

何故、市販の実用紙には

「ほぼ世界共通サイズ」

というものがあると思っているのかね。

手紙やノートのサイズですよ。

A4とかB5とか。

 

歴史上、1000年単位のユーザインターフェースの帰結です。

人類に適応進化したサイズだということ。

脈々と受け継がれてきた結果論。

万博のミャクミャクとはデザインの本質格が違う。

これでPenfonの相棒の。

ハイパータブレットに繋がるという筋書き。

 

手帳が便利なのはリンゴ齧った結果、服を着た携帯時だけ。

しかし、人はカバンという便利なものを持って移動できる。

猿には、カバンの目的の何たるかは判るまい。

これで397町目。

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