2024年7月28日 (ハイパー神商)
「量子の性質探求は量子相互に干渉し合う。」
というのが前回の分析に基づく発見的解明で。
やがては宇宙論にまで繋がると指摘しておきましたが。
この格真的指摘の意味や価値が判ってない模様。
最後には、自由集合まで関連してくる課題なんですよ。
だって、数式扱う理論上の話ですから。
例えば、古典物理でも
「重力」
なんて概念があり。
全ての物体は、重力で相互作用するわけですが。
この結果、
「3体問題」
なんて少し複雑な課題が出現します。
それでも、
「近似的に3体間での重力効果を計測できる。」
とか、
「2体間の重力効果」
なんてのはやっていたわけで。
これと、何処が違うのか?
だからー、
「古典力学 vs 量子力学」
くらい違うのよ。
古典力学が近似理論に過ぎないことを量子力学が示したわけです。
その量子力学も近似理論に過ぎないことを新量子論が示そうとしているの。
更に、進んで、
「究極理論」
なんて、この世には存在し得ないことまで示す予定。
どんなに頑張っても、所詮は、全てが近似理論になる天命。
こういうと、忽ち、哲学の猿が不可知論なんかを持ち出すのですが。
言葉遊びの猿が何を一人前の気分になろうとするのかな。
「究極理論」は無くても。
「メタ究極理論」はあるぜ。
メタというとバース馬化が調子に乗るので。
「至高理論」
と名付けます。
創始者特権。
こういう限界を精緻に把握するのが
「状況偏差」
だと言ってるの。
ここが本質的に、普遍枠内近似把握した量子と違う点です。
相手が、量子クラスのバラツキなら、状況偏差は無視できないし。
それが、フラーレン程度までも起きるわけだ。
二重スリット実験におけるバラツキは。
量子特有の性質ではないことが判明したわけで。
つまり、境界問題が発生しているの。
この事実を見ても、理論の改変に動かなかった物理猿。
権威に縋りつく官僚主義の弊害ですね。
というか、猿は脳力がタリンから。
どうすれば良いのか皆目見当つかない状況。
それ以前のレベルの話で。
課題の所在すら気付かないのよ。
だから、思考実験すらできない宿命。
一方、思考実験で、この課題を解決するのが神。
魔滅のペンで快刀乱麻。
具体的に何を述べているのか、未だに不明でしょうが。
やがて、既存の研究者には誰も想像すらできなかったレベルの
「ハイパー新発見」
だと分かるという筋書き。
全く新しい基本思想であり、理論化ですよ。
全て著作権設定します。
21世紀からの人類は、私の成果を無視して生きていけるかな?
この伏線導入部から、本論へ。
前回提示した量子の
「本質把握不能性」・・・(不能)
が物理史上初の革新的な法則だと理解できているかな?
従来の量子論では、個別の量子に対し
「不確定性原理」
を云々してきたわけですが。
その程度の原理で量子が把握できると思う、その脳がタリンのよ。
(不能)こそが量子の本質で。
観測効果なんぞ、この観点から見れば自然に納得できるはず。
電子の量子性の追加影響だということ。
こう指摘しても、無視ケラトプスの鈍い脳にはピンと来ないカモ。
だから、行間補充しておくと。
猿の思考法は、反射神経レベルの1段推論に基づきます。
よって、光子の発射時点における電子の影響に気付かせてやっても。
「それの影響は光子の本質に影響を与えるレベルではない。
雑音程度の波及効果で結果は誤差にしか過ぎない。
ゆえに、個別の性質は把握可能。」
こう考えるわけだ。
フッ、それが青いのよ。
二重スリット実験を見ても(知っても)。
目の前で、何が起きてるのか把握できてない模様。
いいですか、スクリーンでの模様が。
観測すると、干渉縞模様から二本縞模様に変化するのです。
そして、これこそが量子の本質だと認知し。
世間に向かって、大々的に宣伝している。
では、
「観測とは何か?
何であるべきか?」
発射された量子に対する電子や光子の作用でしょう。
その作用が、本質的な効果を及ぼすと認めているわけだ。
だったらですよ。
発射前の段階で、
「電子が整流化経由で量子発射に影響を及ぼす」
ことを指摘されたら。
この影響は、本質的な効果を及ぼすと推論できねば話にならしゃいません。
「観測による量子(模様)効果 vs 整流化による量子(模様)効果」
どちらが、より影響大と思うのかな。
これは、比喩で言えば
「無線 vs 有線」
の情報通信の差程度。
どちらかというと、有線が優先されるべきなのでは?
(余裕よのう。
仏教を超えて言葉で遊べる神。)
これは、あくまでも、
「(外部からの)観測」
という言葉に引き摺られた比喩言葉で。
量子を途中で装置に通す観測の場合もありますね。
だから、正しい比喩は発射に対する
「前処理 vs 後処理」
でしょうな。
どちらも、量子の本質把握に不可避で。
今までは、後処理の方だけに注目して。
点別収縮経由で量子の本質と言ってきたわけですが。
そもそも、前処理なくして発射はできないし。
スクリーンでの点別収縮に前処理も関与します。
「両者、どのくらいの割合か?」
なんて考え出すのが普遍派の悪い癖。
模様や点別収縮程度で、どうやって区別するのよ、両者を。
原理上無理でしょう。
そうじゃなく、まとめて
「状況偏差」
で扱うしかない。
こう指摘すると、猿は忽ち都合良く解釈し始めるの。
「『前処理 vs 後処理』
を考えた場合。
後処理は、量子の本質を探るための道具。
前処理も同様なら。
両者とも、量子本質把握の手段に過ぎない。
∴両者同等。」
こう来るでしょうな。
しかし、ヨーク考えて。
二重スリット実験における観測は。
模様変化に寄与するだけです。
観測しなくても、干渉縞模様は出現しているわけで。
この段階では、前処理だけが関与していますよ。
そして、干渉縞模様が波性の証拠だと言ってる。
だったら、量子波動には前処理の方が本質でしょう。
後処理は、模様を変化させるだけの役割り。
つまり、前処理と後処理で役割りが違うわけだ。
そこまで分かったとして。
では、
「量子の本質とは何か?
何であるべきか?」
そもそも、量子の(二乗)確率波動なんて。
この波性は、量子単体の性質に起因するのか?
それとも、量子相互作用で発動するのか?
解答できますか。
単体だと即答するのが馬化の証拠で。
ここまで懇切丁寧に解説したら。
即答できないでしょうが。
寧ろ、前処理との相互作用の方が優勢だと分かるはず。
だって、干渉縞模様生成に関与するのは前処理だからです。
環境としての二重スリットとの相互作用は必須ですが。
それを言うなら、二本縞模様生成でも、二重スリットと相互作用しています。
だから、波動性の根拠である干渉縞模様生成には。
前処理が一番効果があるという結論になります。
ここから、一気に攻め込んでおくと。
ここで、徐に、
「境界問題」
という伝家の宝刀を抜きます。
伏線のフラーレンですよ。
これは分子であって、量子ではありません。
しかし、干渉縞模様が生成されます。
この理由は?
前処理効果でしょう。
つまり、君らが光子や電子の波動特性と言ってきたのは。
前処理の電子のユラギのことだったのよ。
だから、量子をフラーレンに変えても。
同じ波動特性が出るの。
但し、二重スリット環境との相互作用はあるので。
「環境をパスするかどうかの問題は残る。」
というシナリオ。
これで、スッキリしたでしょう。
こういう正しい認識が大事なの。
但し、そうはいっても、光子の特性というものはあり。
電子だけが、波動性を持つわけじゃないのですが。
それでも、前処理での効果が分かったはず。
これが論理です。
ところが、旧量子論は、こういう方向の思考実験はできない猿の群れ。
だから、当然、実験もやってない。
だから駄目なのよ、単体ベースの旧量子論は。
次回も、旧量子論が、如何に駄目か分析していきます。
これで358町目。