2024年1月28日

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2024年1月28日 (ハイパー神商)

 

今回から、新量子論の解説に入っていくわけですが。
この理論は従来の科学観とは本質的に違う理論になります。
この局面での
「本質」
の意味が深い。
数学やって、数式弄るレベルじゃ原理上、無理な世界観です。
最終的には、集合論の矛盾を、どう克服するかの課題に到達する奥深い基本思想なのですよ。

 

今まで、着々とハイパー論理で準備してきたので。
そろそろ、公表しても、それほど拒否反応は起きないはず。
時代が追い付いてきたわけです。
全部、神の私が一人で成した仕事ですが。
何故、神が宇宙の創造主なのか、徐々に分かってくる頃合いだということ。
それでも、まだ、ギリギリ最後の最後まで反発するはず。
それが、どういう意味で、どういうレベルなのか?
今回、普遍派は骨身に沁みるはず。

 

というわけで、まずは、従来の科学史における
「パラダイムチェンジ」
との相違から。
古典物理から相対性理論や量子物理に移るのはパラダイムチェンジなのですが。
リーマン空間モデルであろうが、不確定性原理であろうが。
これらは、未だ、科学の
「普遍枠」
という枠組みの中での理論構成です。

 

旧量子論に限定して言えば。
確率ベースの波動関数なんて概念自体、普遍枠内の最たるもの。
{0,1}を[0,1]に一般化した程度の相違に過ぎません。
一方、これに付随する観測問題は、最早、科学哲学の部類です。
だって、私が指摘したように。
間隔問題、線幅問題、干渉問題等、様々な
「境界問題」
を放置したまま、言葉遊びをしている始末。

 

これに対し、新量子論は21世紀からの最先端科学理論なのですが。
その基本思想は
「状況依存性」
です。
これが、従来の普遍枠内理論とは根本的に違う点です。
ここには、ラプラスの魔物も、シュレディンガーの猫もいません。
境界問題を攻略するのに、普遍内部からアプローチするのではなく。
普遍外部から眺めるという手法。

 

普遍枠内の比喩で言えば、境界がギザギザの集合に対し、
「開集合で攻める vs 閉集合で攻める」
の相違の感じかな。
集合の境界が素直なら、
「開核=閉包」
となるのですが、一般には、そう単純じゃないの。
この辺りから集合論の出番となります。

 

例えば、面積や体積の場合。
無限の極限で積分なんか考えて両者一致させようと画策してきたのですが。
ルベーグ測度みたいに甘くは無いのよ、一般集合の境界問題は。
一般の測度に関する
「可測基数」
なんて知らないでしょうなあ、科学者レベルでは。
数学者でも、ほとんど、知らないし。

 

ここまで指摘しても、知力のタリン猿には、まだ不満なはず。
脳計測精度が粗いと、比喩の把握が緩くなるの。
「なんだ、『開集合 vs 閉集合』程度の相違か」
とか言い出しかねない。
よって、誤解しないように、より正確に
「普遍枠内集合 vs 普遍枠外集合」
と言い換えた方が把握し易いカモ。

 

ところがね、まだ最後の抵抗があって。
「科学とは、自然を普遍枠内で捉えて。
究極真理を追究する学問だ。
普遍枠外での哲学とは違う。」
と言い出すはず。
それが根本的に間違いなのです。

 

「科学とは自然界に潜む法則性を発見する学問」
という基本思想は間違いなく、両者同じなのですが。
「究極真理」
という概念の把握法が違うのよ。
自然界の言葉は数式で記載されますが。
数式のベースは数学ですよ。
この数学という究極真理に対する理解度の違いです。

 

つまりは、純粋理論としての形式化のレベル問題。
その土台に集合論が控えています。
そろそろ、哲学めいてきたと感じる頃カモ。
よって、一撃懐疑で片を付けておくと。
「科学的発見の論理とは何か?
何であるべきか?」

 

素人でも判るレベルに嚙み砕いて言えば
「科学は推論しないのか?」
推論するに決まっているでしょうが。
だったら、背景理論というものが必須になるのです。
数式を使うという意味が分かっているのかね。
飾りじゃないのよ、数式はハハーン(^^♪

 

従来は、正しい推論とは背景理論からの証明で実現されるもので。
これは普遍枠内で行うものだと信じられてきたわけです。
しかし、これが間違いだと、神である私が証明したのです。
それこそが、決定問題Qに対する
「Yes・No・独立」
を超えた数学解法第四カテゴリーとしての
「消滅」
の存在です。

 

これを科学に応用すると、今まで何回も登場した
「3択問題」
に繋がるという筋書き。
科学の決定問題Qに対する解答が、
① 原理上不可能。
② 現時点では、実験の計測限界を超えているから無理。
③ 現時点で解答可能だが、未確認。
(思考実験が出来てないので、思いつかなかった。)
①が枠外性で、②が独立に相当します。

 

従来の思想では、
「究極真理の追求は②まで。」
と考えられてきたわけだ。
だって、数学の基本思想が独立まででしたから。
ところが、真理の真の新構造は、そうじゃなかったの。
消滅があるのよ、数学レベルで。
だからこそ、①の可能性が残り続けるの。
これこそが至高真理。
試行思考指向の果てに辿り着く宇宙の真の姿です。

 

こういう普遍枠外性に対し、どう対処するのか?
証明作業は可能なのか?
可能です。
「デモ、普遍枠外なんだから、証明場が存在しないはず。
証明作業とは概念矛盾するのでは?」
こう考えるのが、従来の猿の世界観。
数学者も、論理学者も、皆、そう考えてきたわけですが。

 

フッ、糖尿病じゃあるまいし。
神の掌がむず痒くなるようなことを言うんじゃない。
「証明場が存在しない。」
と証明するのですよ。
それが消滅です。
哲学じゃないの。
これが、どのくらい難しいか判るでしょう。

 

集合論の強制法というのは、枠内から境界を探るテクニックですが。
境界を見極める能力があれば。
問題設定の勢いが余って、
「枠外にハミデル」
ケースがあることまで分かってくるの。
こういう問題設定が消滅のターゲット。
科学的には、解決が原理上無理な課題。

 

但し、こういう枠外性は境界付近で課題設定されているのが通常です。
だって、プロですら枠内問題だと思って提示するわけですから。
このような場合、そこそこの枠内近似が可能になります。
但し、出来た近似は、最早、元の問題とは違いますよ。
だって、
「枠外 vs 枠内」
ですから。

 

それでも、そこそこの近似理論化は意味があるし大事です。
よって、近似追求したくなるはず。
従来は、近似に採用する常套手段は確率だったのですが。
最早、そういうレベルの近似では境界は探査できない時代に突入しています。
その証拠が、旧量子論に対する様々な境界問題。
では、これにどう対処するか?

 

そこで登場するのが状況依存性です。
ある意味で、究極の近似モデル構築。
ここから強制法の比喩を通じて、
「科学における状況依存性」
が登場します。
状況依存を超えると、枠外性が出現し
「原理上不可能」・・・(原理)
という正しい解答になります。

 

これ宗教や哲学とは違うのですよ。
なにせ、証明するのです。
これを、どうやってするのか?
論理的に証明するのです。
これが、どういう意味なのか?
数学の消滅では、具体例
「P vs NP」
ですでに実施済みですが。
物理では、原理上無理な具体例提示は今からの仕事になります。

 

それよりも、先に、独立系の複数ライバル理論が登場するはず。
それが、物事の順序というか、序列というか、秩序というもの。
そのために、今から新量子論を構築していくわけです。
これは、既存の物理理論とは根本的に違う理論です。
状況依存性に基づく理論ですが。
従来も、相互独立系理論として、枠内状況依存で様々な旧量子論が提示されてきました。
これには、真理に対する近似理論として計測精度が深く係わります。

 

それに対し、私の提示する新量子論は
「枠外状況依存性」
に基づく理論です。
具体例は自由集合などの曖昧集合の出現。
これでも近似理論化すれば推論は有効で。

証明作業は、あるレベルで可能です。
そのレベルとは量子論に支障がないレベル。
というか、それが量子論の本質になるレベルです。
どういうことになるかは、今からのお楽しみ。

 

こういうパラダイムチェンジをするのが私のオリジナル理論。
最早、通常レベルのパラダイムチェンジと比較すること自体が誤解を生む可能性がありますね。
よって、新概念として
「ハイパーチェンジ」
と名付けます。
創始者特権。
旧量子論から、新量子論への移行はハイパーチェンジなの。
ZF矛盾を理解できたら、この至高の基本思想に到達できます。
これで430町目。

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