Statement 1 (英文翻訳前の草稿です)

 

事実:

(個人ユーザにとって便利な、今や必須の)環境転送機能はWindowsXP以前には実現されていなかった。

 

当社の主張:

「FSTW機能は当社所有の環境転送特許の具体化である。 」

この事実は、特許とFSTW機能を付き合わせて見れば、一目瞭然。

特許は

「情報機器Aの"ファイル+設定"情報を新しい情報機器Bへ転送するシステム、方式、プログラム」

に関するもの。

FSTWはWindowsXP以前のWindowsOSマシンの"ファイル+設定"情報をWindowsXPマシンに転送する機能。

つまり、FSTWは環境転送特許の典型的な具体例。

よって、MS社は、XPのFSTW機能で環境転送特許を侵害した。

Vista、7でも、同様。

 

想定されるMS陣営の言い逃れ:

当社がClaim Chartを提示しないでいると、MS側は2005年3月の手紙で

“After investigating this issue, it does not appear that your patent could cover the functionality provided by this tool because Microsoft has been providing this same basic functionality since at least as early as 1995.”

と指摘してきました。

つまり、FSTWの機能は1995年からあったという言い逃れです。

 

しかし、FSTWがXPから新登場した機能だという事実はMS自身がXP発売時に認めています。

よって、この段階で、MS側は、すでに論理が破綻しています。

一方で

「FSTWはXPから新登場した機能である」

と宣伝し、他方で、

「1995年から供給してきた機能だ」

と主張しているのです。

これは矛盾。

 

この矛盾を突くだけで訴訟が勝てるか?

多分、無理でしょう。

MS側は様々な追加言い訳をしてくるはず。

その中で一番想定されるのは、

「機能と技術の混同法。」

という戦術。

甘いですね。

当方は、この方面のプロですよ。

この方面とは?

相手の論理的矛盾を突くプロ。

訴訟では、これが一番有効。

 

結局、争点は

「FSTW機能が95レベル機能と同類と認知できるかどうか?」

になります。

勿論、当社の見解はNoです。

というか、事実として、同類ではありません。

以下、この争点を吟味していきます。

まず、一般論から。

 

機能編

特許は機能に対するアイデアに与えられます。

特許のポイントである新規性+進歩性は機能に対する要件なのです。

そして、機能は技術で実現されます。

つまり、

「従来との機能差で新規性・進歩性を判定する。

その機能が実現できる技術を新規性・進歩性があるという。」

しかし、機能と技術は違うのです。

 

本特許のケースに即して、キチンと分析整理すると。

1、 機能(functionality)と関数(function)は根本的に異なる概念。

前者はシステム(製品)が備える能力、後者は数学の対象です。

つまり、前者は実用的な対象、後者は理論的対象。

2、プログラムが関与する場合、関数に対し、更に、アルゴリズムという概念が登場する。

これも理論的対象。

3、アルゴリズムに対し、更に、具体的実現法という概念が登場する。

これが技術です。

 

同一機能を別技術で実現し、特許化することがあります。

その場合でも、当該機能を部分機能に分けたり、関連機能を考慮することで機能差が発現します。

例えば、製造費が安いとか、製作日数が短縮できるとか。

この例で機能と技術の相違が理解できるでしょう。

ここから、使用技術の相違問題に入ります。

 

技術編:

「FSTW vs Windows95」

は同一技術を使用しているか?

当然、違います。

では、更に譲歩して、"核"技術において、同一になっているか?

やはり違います。

この場合の核技術とは、

「新機能を実現する技術」

になるからです。

 

FSTWには、あれほどバグがありました。

つまり、新機能の実現は、それだけ技術的にも難しかったという証拠になります。

ゆえに、

「従来の技術の単純な応用ではない」

という結論になります。

MS側は、

「FSTWのバグはtrivialなバグだけで、技術の本質は95レベルと同じ」

と言いたいカモ。

では"本質"の定義を述べてみなさい。

返答できないでしょう。

哀れだから、仮に、これをアルゴリズムとしましょうか。

 

アルゴリズム編

少し高級化して、

「両者は核アルゴリズムのレベルで同一か?」

ここでも、核の範囲問題が勃発します。

MSが、

「XPのUSMTは1998年以前の技術から派生した。」

と主張しても駄目です。

「XPのUSMT機能は1998年以前の機能から進化した。」

と正確に言う能力がない技術屋は大衆の面前で恥をかく宿命。

 

MSが

「この進化は機能的にtrivialだ」

と主張したと仮定します。

しかし、この論法は他の機能についても、全て適用可能です。

つまり、1998年の実現機能で、それ以降のWindowsの機能がカバーできることになります。

慧眼の陪審員なら、これで、MSの主張が崩壊することが判ります。

技術細部を突っつく職人の曖昧感覚で、気軽に、その場限りの言い逃れを言うと自滅する運命。

 

ビジネス編:

今後のこともあるので、再度、念を押しておきます。

上流工程で提案したシステムを中流SE経由の下流で実現するのがプログラマです。

例えば、AI系の状況依存検索は特許化可能です。

理由は、理論上、

「今まで誰も考えたことのない機能だ」

と保障されているからです。

大切なのはアイデアの発想。

しかし、そこで使用するのは、実現時点で存在する技術の組み合わせです。

これを、当たり前で、新規性や進歩性が無いと言うのは技術馬鹿。

もしそうなら、便利で価値ある機能なので、私が提案する前に製品化されていたはず。

しかし、現実には、製品化されていません。

 

環境転送の場合も同様です。

私が提案した上流特許を、何も考えず、下流で真似た(=盗んだ)。

私の特許は著作権で生きている下流プログラム職人には判らない世界だったのです。

これこそが(製品)機能vs(実現)技術vs(保証)理論の相違問題。

MSは、この三題話ができない能力。

もしくは、薄々判っていて、素人判事や陪審員を騙そうという戦術でしょう。

私の特許に金を払う必要がないのなら、MSの著作権に金を払う必要はありません。

“人類の為の共通基盤”という大義名分を掲げるなら、MS社員はタダ働きし、製品を無料で配布すればいいでしょう。

そうでない限り、環境転送機能の発案者である私が引き下がるわけにはいかないのです。

かくして、私を無視して著作権ビジネスを遂行しているMSは資本主義の敵に成り果てます。

 

結論:

環境転送が産業上有用な新機能である事実は誰も否定できません。

だから特許になったのです。

そして、ここが重要なポイントなのですが、本特許の明細で、

「旧Windowsマシンから新Windowsマシンへの環境転送を代表事例として扱っている。」

のですよ。

つまり、このケースまで特許権が及ぶことを米国特許庁は認識できていたわけ。

それを承知の上で、特許権を承認した。

その特許をMSはFSTWで故意に侵害したのです。

この論拠は簡単明瞭で素人陪審員でも判るでしょう。